第七章 太陽と輝きの中で
美しい坂と丘の町美瑛から知床へ、冬希は鉄道に揺られ長い旅路を進んでいた。
知床へはいくつも電車を乗り継ぎ、今日朝一番で美瑛をたったが着くのは夕方以降、夜になる可能性が高かった。
広い北海道、移動時間が長いのは今までの旅ですでに冬希はわかっていたが、この時間は今まで以上冬希には
長く感じた。
悠里とはあの病院で別れてから会えずに、冬希は美瑛を発った。美瑛を発ったのが翌日ということもあったが、悠里
にどのような顔をして会えばよいか冬希には分からなかった。
昨日の悠里が冬希の頭から離れない、一緒に美瑛の丘を周った時の笑顔、そして病院でのあの涙。
おそらく悠里もあのようなことがあり冬希とは会いづらいだろう。あの時、悠里が泣きながら言った、告白とも贖罪とも
とれるあの言葉、その言葉の真意を聞きにいく勇気も、泣いていた悠里をなぐさめるやさしさも今の冬希にはなかった。
「今日、知床に向かいます。体、ゆっくり休めてください。」
朝方、何も感情の無い、簡潔なメールを送ったが返事はまだ来ていない。もしかしたらまだ病院で携帯が使えないかも
しれない、そう考えながら冬希は悠里からの返信を複雑な気持ちで待っていた。
(なんて・・・・書けばいいんだ)
自分からメールを送っておいて冬希はそんなことを考えていた。
窓の外は白い景色が続いている。時折遠めに木々や建物が見えるが長い時間眺めていると代わり映えがないように
思えてくる。今日はこの先ほとんどの時間をこのような時間に費やす。そしてずっとこのような気持ちでるのだろうか?
(なんて言えばよかったんだ・・・)
昨日からなんど頭に浮かんだろう言葉、しかし明確な答えが自分の中から浮かんではこない。
(神余さん、今どうしてるのかな)
同じような景色を眺めながら、冬希は次第にまどろみの中に意識が落ちていった。
緑の芝生が一面に広がる。遠くに見える木々と明るい太陽、天気は快晴だ。青い空がまぶしい。
ここは・・・・・どこだ?新鮮だがとても懐かしい感じがする。
少し先に女の子が手を振っている。誰かを呼んでいる?誰を・・・?自分・・・・そう式那は冬希を呼んでいる。
そうだここは都心から少し離れた所にある自然公園。昔、式那と遊びに来たところだ。そう、そして・・・・
「ほら、式那ちゃん、お前を呼んでるぞ」
振り返り、見上げるとそこの父が、仁が笑顔で立っている。そうだ、仁と冬希、そして式那と三人でここに遊びに来たのだ。
ここには都会の喧騒や機械的な音は無く、風、鳥のさえずり、木の葉がこすれる音、自然の音楽を奏で、心を落ち着かせる。
幼い冬希は式那のほうへ駆け出す。同じ東京とは思えないような広い緑の絨毯が太陽で輝いてまぶしい。
「あっち行ってみようよ、冬ちゃん」
丘の上を目指し式那が嬉しそうに笑う。いつもの明るい笑顔だ。自然に冬希も嬉しくなり、顔にも笑顔がほころぶ。
式那に手を引かれながら駆けてゆく。緑の香を運ぶ風がほほをつきぬけるのが心地よい。緑の丘を二人で走っていく。
「式ちゃん?」
式那が丘の上の近く、何本もの木々が連なるところで足を止めた、
「・・・・・・・」
式那は一点を見つめて固まっていた。
「式ちゃん?」
葉や枝の隙間から輝く太陽が、緑の色を黒く伸びる影の隙間に見せる。その影の先、式那の視線の先にそれはいた。
(あれは・・・・・・・・鳥!?)
そこには冬希の見たことの無い鳥の姿があった。子供の冬希にとって鳥とは美しく、羽をはばたかせ空を駆ける姿を
思い浮かべる。
しかしそこにあるのは羽は無く、全身肌色の肉が直に露出し、細目で動くことの無い鳥のヒナだった。
冬希たちを見下ろす木の上のほうから鳥の声が聞こえた気がした。おそらく上のどこかにある巣から落ちてしまった
のだろう、動くことの無いそのヒナから生命の躍動は感じられない。
はじめて見た鳥の死骸に冬希は動けなかった。母を亡くしていた冬希だったが実際に死を目の当たりにしたのは
初めてだったかもしれない。
冬希はそっと隣の式那の様子を見た、式那は無表情だった、いつもの笑顔でもなく、無きそうでもなく、ただ衝撃
と困惑が式那を包んでいるようだ。
ふいに式那が冬希のほうを見た。とっさに冬希は顔を背けてしまう。いつもと違う式那の顔にどうしていいかわから
ない。
後ろから人が歩いてくる気配がする。冬希にはそれが仁だと感じる。冬希は仁が早く着てくれないかと心の中で
思っていたのだ。
乗り継ぎの駅の少し前に冬希は目を覚ました。
昔の夢を見ていた、夢で見なければ忘れてしまっていたことを。
まだ仁とそして式那と一緒だったとき、みんなで出かけたころの夢だった。
楽しい思い出だ広がる草原に青い空、絵に描いたようなピィクニック日和であった。あの瞬間までは。
あの時、冬希は式那から顔を背けてしまった。式那の怯えるような目、あの時自分はどうすればよかったのが、それが
まったくわからず、冬希は逃げてしまった。
それは・・・今も同じだ、悠里の時もそうだった。病院で悠里に何も言えず、いやなにも言わなかったのだ。
昔からそうだった、冬希はいつも肝心なとこrで一歩踏み出せない。傷つけることを、そして傷つくことを恐れ臆病になる。
アナウンスが次の停車駅を知らせる。ここで少し乗り継ぎの電車を待ち、知床へと向かう、車両の中に人影は見当たらない、
元々あまり人は乗っていなかったが、冬希が眠っている間に下りてしまったようだ。
「次は・・・・・・・・・」
アナウンスとともに車両のドアが開かれる。そこから冷たい空気が車内にめぐり、冬希の体を硬直させる。人が乗ってくる
気配は無い。
しばらくするとドアは閉まり、再び温度が上がっていく、しかし冬希しかいない車内は静かな時間が流れ、寂しさが漂う。
すこし頭が痛かった。体も痛くそしてだるい。座ったまま眠ってしまったからだろうか、それとも旅の疲れがでているのだろうか。
しばらく車内でじっとしていたが冬希は荷物を肩にかけ席を立った。ドアの前に立つと開閉のボタンを押す。冷たい空気が
冬希の体に突き刺さる。
駅のホームには誰もいない。天気は良いとは言えず灰色に曇っており、無人のホームのさみしさをいっそう引きただせる。
(は・・・・・・っ)
白い息を吐きながら冬希は呼吸をする。寒さに硬直する体に力を入れプラットホームから空を眺める。
(雪・・・・・降るのかな・・・・)
今悠里はどうしているのだろう、もしかしたら同じように空をながめているのかもしれない。・・・どんな気持ちで?
自分の気持ちか頭の中を表したようなどんよりとした空を眺めながら、自分の中から朝から消えず、ずっとぐるぐると回って
いる思いを整理できずにいた。
(あの夢・・・・・・・)
自分はいつもそうだ、また逃げてしまった。ずっと考えていたことが、あの夢を見たことにより、よりいっそう強く感じる。
(何かを変えたくて・・・・・見つけたくてここにきたんじゃなかったのか)
それどころかさらに臆病になって・・・・考えると、情けなくて泣けてくる。冬希は思わず歯を食いしばった。
「寒いですね」
「えっっ!」
突然声をかけられ冬希は思わず声を上げてしまった。声のするほうを向くとそこにはショートヘアーの女の子が立っていた。
さっきまで自分ひとりしかいないと思っていた冬希はうろたえてしまう。驚きをj隠せない。
「多分振りますね、雪」
「そ。そうですか」
高校生だろうか?、厚めのコートとマフラーで背は低く、少し小柄であるため同じショートでも悠里より若く見える。
「もしかしたらかなり積もるかも、着くまでもってくれればいいのに」
独り言なのか、それとも自分に話しかけているのか、冬希が返答に困っていたが、女の子は特に気にかけていないようだ。
「それもあいつが迎えに来てくれないから・・・」
女の子は口を尖らせながらつぶやく、その仕草は自然に幼く感じされる。
「あ、あの」
「プッーーーーッ」
冬希が声をかけようとした時、ほぼ同時に車のクラクションの音がなった。
「来た!」
クラクションを聞いた瞬間、女の子の顔が輝いた。駅のすぐ近くから聞こえてきたそれは、小さな無人の改札を出たすぐ
のところに止まっているようだ。
「じゃあ、さよなら」
女の子は軽やかに駆け出すとそのまま改札口へと消えていった。その後ろ姿は弾んでいるように見える。
声をかけようとした冬希はそのまま呆気にとられただずんでしまう。女の子は一方的に話すだけ話して行ってしまった。
(な、なんだったんだ今のは・・・・・)
再び冬希一人となってしまった駅のホーム。女の子の言うとおり風はさらに冷たくなっているように感じ、雪が降りそうだ。
もう一度灰色の空と遠くの山々を眺め冬希は列車の車内へと戻った。どこの誰ともわからないが、人に会うことで、朝から
沈んでいた冬希にとって少し気晴らしとなった。
でも、もう二度と会うことないだろう、そう冬希は思っていた。しかしこの出会いは冬希の心を揺さぶるこの旅最後の出会い
の始まりだったのだ。
雪景色の中、冬希を乗せた列車は問題なく進み、乗り継ぎを経て知床の入り口へと冬希はたどり着いた。
最後に降りた駅からバスで移動し、冬希がこの一人旅で最後に泊まる知床の宿へと移動することとなる。
途中、冬希下車し、オシンコシンの滝へと立ち寄った。冬になるとその滝が凍りつく知床を代表する観光スポットの一つだ。
寒い中、オシンコシンの滝には観光客がちらほらといた。入り口のところにはお土産と簡単な食事ができる店があり
暖をとっている客も多い。
バスから降りると冬希は奥の滝へ向かう。そこには冬希の背をはるかに超える氷に包まれた滝がそびえ立っていた。
雪で周りは真っ白だが高さ数メートルにも上る凍りついた滝だけはまだ磨く前の水晶のような色でたたずんでいる。
滝の大きさに少し圧倒されながら雪に気をつけながら階段を上がっていった。雪であまり高いところまでは
いけなかったがそれでも先ほどいたところと比べると、景色も良く見える。
時刻はすでに夕方となっていた。駅からの道はずっと海沿いでバスの窓からも冬の海と流氷が見れた。
天気は回復せず曇り空のままだ。もし晴れていたならばきっと美しい夕日が見れただろう。
冬希は携帯電話を手に取り凍った滝へと向け、カメラ機能を起動させる。寒さでピントが少しブレやすいが何とか
滝をフレームにおさえボタンを押す、カメラのシュッター音がし、しっかりとその姿をとらえることができた。
画像を保存しメールに添付しようとしたところで冬希は手を止めた。
冬希は思わず悠里にメールを送ろうとしていた。しかしなんと書いて送るのか、悠里を元気ずけるため?
いや逆に気を使わせてしまうだけかもしれない。
(いくじなし・・・)
そう思わずつぶやいて冬希は携帯を閉じた。あまりの情けなさに思わず笑えてさえくる。
(父さん、父さんがいたらなんて言うかな)
灰色の空に問いかけてみる。答えは当然返ってはこない。冬希はこの旅一番の孤独の寒さを感じていた。
冬希は雪で滑る足場を注意しながら下へと降りた。バスを途中下車したため次がくるまでまでかなり時間がある。
近くにある休憩所で冬希はホットコーヒーを買い近くの椅子へ座る。冷えた体に微糖の暖かい苦味が染み渡り冬希を暖める。
「今年は寒いねえ」
売店のおばちゃんが冬希の隣まで来る。恰幅がよく60代ぐらいだろうか
「そうなんですか」
おばちゃんを見上げながら冬希はたずねた。
「ああ今年はね、最近はあんまし寒くない年も多かったからそう感じるのかもしれないけど」
「そう・・なんですか」
「雪も多いし、しばれるね」
ちらほらと見える小さな流氷を見ながら、冬希は再びホットコーヒーをすする、おばちゃんも海を見ていた。
「あんたどっから来たの?」
「東京からです。」
「へえ、このまま知床ほうに行くのかい」
「はい」
「今年は雪でいけるとこ限られてるけど、夜にはイベントとかやるから楽しんでおいでよ」
「行けないところあるんですか?」
「雪でね、道が厳しいところとかも多いからね」
そう言うとおばちゃんは店の奥へ行ってしまった。きっとお客さんが来たのだろう。
(厳しいか・・・・)
冬希はし渋い顔をして呟いた。この旅のメインはこの知床である。仁が残した旅の日記に書かれていた言葉、
その意味を探すために来たのである。
式那には会えなかった、だからこの知床だけは・・・ここに近づくにつれ冬希はそんな気持ちでいっぱいとなっていた。
(声・・・か)
仁がなにを聞いたか冬希には想像もつかない。洸次郎も言っていたが仁には何かを感じることができる力みたいな
ものを持っていたのかもしれない。
だとしたら今までそのような体験をしたことのない冬希はそれを感じることができるのだろうか不安になる。
モンゴルでの仁の言葉を思い出す。冬希にも聞こえるかもしれない、そう仁は言っていた。
冬希は不安と期待が渦巻く中、バスを待った。
冬希が降りたバス停から宿まで少し歩かなければならなかった。ここから少し坂の上のほうへ進むとホテルや宿が
多く立ち並ぶがそこからまた奥に行ったところが今回の宿となる。
大きなホテルがいくつか立ち並ぶが冬希はそこを通り過ぎる、来る前にPCから印刷した地図にはもう少しここを
いった先、坂の上のほうだ。
滑る道に気をつけながら進むと目的地が見えてきた。ホテルというか民宿に近い作り、「御風館」だ。
周りは木に囲まれており、先ほどのホテルから外れてたっているここはどこか寂しげでもあり、落ち着いた印象を
持たせる。
(ここか・・・・)
仁の手帳にあった宿、ここが冬希の最後の宿となる。木造作りで濃い色をした茶色の御風館はこの土地に昔
から歴史を重ねているおもゆきを感じさせる。
玄関の引き戸を開け冬希は中へ入る。戸が開く大きな音とともに暖かい空気が冬希を包み込む。
「いらっしゃい」
奥のほうから大柄な男性が出てくる。顔も体も大きく、髭が顔の半分を占めている。
「あの、予約した藤堂ですけど」
「ああ、あんたがあの仁さんの息子さん、どうぞ上がって」
「はい、お邪魔します」
「お邪魔じゃないよ、客なんだから」
そう言うと男は冬希の荷物を軽々と持つと、冬希を中へと案内した。少し無愛想だが根はよさそうだ。
「トイレはそこ、食事は6時から、さっき通った広間で、風呂は7時ごろから、冷めちゃうとあれだから入りたくなったら
言って」
二階へと上がる階段を上りながら説明を受ける。どうやら冬希の部屋は2階のようだ。
「昨日まで別の客がいたがきちんと掃除してある。そんな風には見えないけど酒とか飲んで暴れたりしないで
くれよ」
ぎしぎしと鳴らしながら階段を上がっていく、2階に上がるとふすまがいくつもある廊下へとつながる。
男についていくと奥の部屋に案内される。どうやらそこが冬希の部屋のようだ。
「ここがお客さんの部屋」
襖を開け男は明かりをつけ、荷物を部屋の隅に置く、そこは8畳ぐらいの広さで窓が一つと押入れがあり、
ほかには何も置かれていなかった。
「あと二人従業員がいるが、今は買出しに行ってるから、また戻ったら紹介するから」
男はそのまま部屋を出ようとするが、何か思い出したように振り向く。
「そういえば、名前名乗っていなかった。俺は雅一。大石雅一。」