第4章 壊れたなら恋や夢で

 式那との別れと、悠里との出会いをした次の日、冬希は小樽へと赴いた。

疲れて眠ってしまい、朝目が覚めると携帯電話には3件の返信が入っていた。最初の2つは光次郎と愛海からで、冬希の無事を祝い、北海道の寒さや、初めての一人旅で体調を崩してはいないかと心配をしていた。愛海からはさりげなく小樽での土産を催促していたのが、冬希にとっては微笑ましく、二人の存在の温かさを感じさせるものだった。

もう1件は悠里からの返信だった。悠里の言葉使いや、穏やかな人柄を感じさせる、丁寧で少し控えめな言葉で綴られたメールには、冬希からのメール、札幌を案内した時のお礼(別に式那は礼をいわなくても良いのだが)と、自分は小樽や函館は行ったことは無いのだが、冬希の旅の安全を祈っているといった内容で、冬希を元気付けてくれた。

3人に今から小樽に向かうとメールをし、今まで仕事をしていたのか、眠そうで少し疲れた顔をした浩太に挨拶をして、少し速めに田辺家を出た。小樽を経由して明後日には函館の予定だ。本来なら明後日に向かう函館に最初降りた方が旅の効率は良く、その後再び札幌に戻り、美瑛、知床を周ると考えると、冬希は我ながら、無理で計画性の無いプランだとは感じていたが、仁の旅に少しでも近づきたく、仁の北海道を周るなら、心に引っかかった式那の手紙のことを先に解決したいと思い、千歳に降りたのだ。

また函館は仁が残した作品の中で数少ない、自然の風景以外の写真を撮った町なので気になっていたため冬希は今回の旅のルートに組み込んだ。

札幌駅から、小樽行きの電車に乗り込み、一息ついた頃、再び悠里から返信が来た。

 

「冬希さん。メールありがとうございます。

 小樽は運河に沿ってガラス工芸やオルゴールなどのお店や、お寿司や海産物の料理を楽しめるお店が沢山並んでいるそうです。中にはメルヘン交差点というかわいらしい名前の道もあるそうですよ、明後日は函館に行くのですよね。体に気をつけて、良い旅にしてく

ださい   悠里。」

 

わざわざ調べてくれたのか、悠里は小樽の情報を書いてくれていた。冬希は悠里の細かい気遣いに感謝した。

電車の窓から見える景色は、昨日みた景色とまださほど変わりはしなかった。それでもやること無い冬希は窓の外を眺めていた、空は灰色に曇っていて、お世辞にもいい風景とは言えなかった。

電車はさほど込んではいなく、冬希がいる車両の6割程度が埋まっているぐらいで、冬希の隣には誰も座ってはいなかった。

走行中で携帯電話の電波が悪く、悠里に返信が出来ないのを少し苛立ちながら、冬希は、外の景色が、自分の退屈を和らげてくれる変化をするよう祈りつつ、これから行くかつての商都、小樽のメルヘン交差点を言葉通りに想像していた・・・・

お昼を過ぎた頃、冬希は小樽に着いた。小樽駅は地元の人や冬希と同じ旅人で少し混雑しており、外は札幌同様、道路の周りには雪が積もっている。

タクシーを拾うか迷ったが冬希は歩いてホテルまで行くことにした。駅からさほど離れてはいないし、タクシーを使うのは勿体なかった。

ホテルには歩いて10分もしないうち着いてしまった。やはりタクシーを使わなくて良かったが、ここに来るまで2度冬希は足を滑らせ地面に尻をぶつけていた。北海道にきて2日目、まだ冬希には北の道路の歩き方すらおぼつかない。

チェックインより早く着いてしまったので、ホテルのカウンターで荷物を預けると冬希は早速、小樽運河へ出かけることにした。愛海のお土産や悠里のメールなど、小樽のイメージは冬希のなかで様々に膨らんでいる。

ホテルを出て広い通りに出たあと、そのまま、左手に進んで行くとすぐに小樽運河に着いた。海から流れを引く運河を挟んで手前側には食事やガラスなどのお土産を扱う様々なお店が並び、運河の向こうには、ガイドブックなどでお馴染みでもある有名な倉庫が冬希の前に並んでいる。

さすがに有名な観光スポットなだけに周りには観光客や旅人が多い。写真を撮るお決まり場所にはカメラを持った観光客やその観光客から写真を撮って商売をしている人など、そこがいつも写真で見ていた場所だと感じさせた。

冬希も写真を撮ろうと思ってはいたが、もっと人が引いてからにしようと思い、後にした。運河に沿って行けば沢山のお店がある。先にそこを周り、愛海達のお土産を選ぼうと思い、冬希は並んだ倉庫を眺めながら左手の方へ歩き出す。

ホテルや食事処を通り過ぎていくと、冬希の目的の店が見えてきた。茶色の外観の門には看板が掛けられている。

「小樽運河工藝館」

愛海が教えてくれたお勧めのスポット、ガラスのアクセサリーやグラスなどを扱っている。冬希は門をくぐり、館内入り口の上下に繋がる螺旋階段から店内に入った。

そこには赤や青、黒に白。同じ色と呼べるものでも深みや色合いが違う美しいガラス工芸の数々が並べられていた。角度によって輝きや色が変わるアクセサリーやグラスを、冬希は愛海のお土産探しも忘れ眺めていた。

様々なアクセサリーの中から迷いながらも愛海のお土産に、薄く青く濁っている、楕円形の美しいネックレスを手に取った。愛海の好きな青色が最も美しく冬希には感じられたらだ。ネックレスをレジに向かう途中、冬希の頭に悠里のことが浮かんだ。

冬希のために小樽のことを調べメールしてくれた悠里。札幌に戻るとまた会えるかは分からないが、冬希にはこの旅で最初の出会い。お礼もしたいし、初めての一人旅での出会いを大切にしたい。

その時、冬希の目に1つの色彩が映りこんできた。

レジの近くに置いてあり、見落としていたそれは、赤い、いや朱色のガラス工芸の作品で、それは燃えるような、しかしどこかやさしく、懐かしさを感じさせる透明な・・・まるで夕焼けの夕日のような色だった。

冬希はそのガラス工芸に目を奪われ、思わずその中の一つを手に取った。それは小さなスズランの花を模ったガラスが先についてあるストラップで、店内のライトに当てて覗き込むと、本当の夕焼けのようだ。

冬希はこれを悠里に買って帰ることを決めた。

レジで包装を頼んでいる時、箱の衝撃を和らげるためのスポンジを入れながら、冬希より少し背の低い男性店員が冬希に話しかけた。

「よろしかったら、奥のスタジオ工房でガラス工芸の見学ができますよ、時間に余裕があればお立ち寄りください。」

レジの隣の通路からどうやら厨房に繋がっているらしい。冬希はせっかくなので覗いていくことにした。

扉を開け中に入ると数人のギャラリーがすでに工房を見学していた。思ったより狭く、椅子などか置いてあるスペースから正面にガラスを焼いたりする釜がある作業スペースを見学できるようになっている。

作業スペースでは3人の男性が作業を行っていた、まだ形の整ってない赤く焼けたガラスを釜の中で回したり、調節を行ったりしている。

その中で一人明らかなに目立つ存在がいた。

180cmはあるだろう長身で、体つきはすらっとした細身。ほりが少し深い顔は鼻が少し高い。青い目に髪はウェーブのかかった金髪の青年は、日本ではなく、外国の血を引いていることは一目瞭然で、冬希には自分と同い年位に見えた。

ギャラリーの視線の自然に集まるその青年は、その視線をまったく感じている様子もなく、ただ一心に、自分が持っている金属の棒の先にあるガラスに集中していた。


工藝館を後にし、冬希は逆の方向へと足を運んだ。そのまま運河を沿ってメルヘン交差点、オルゴール館へと向かっていた。

様々な飲食店や地酒などのお土産を扱うお店を通り過ぎながら、冬希は工藝館で見た金色の髪をした青年を思い浮かべていた。その風貌や姿から周りとは明らかに違う雰囲気をかもしだしていたが、それより冬希にはガラスに向かう彼の表情が何故か、別の何かに向かって向けられていたように感じ、気になっていた。

工藝館から数分歩いたところで、目的の交差点へと冬希はたどり着いた。多くの観光客が行き交うそこは冬希が思い浮かべていたような、自分でも少しファンタジー過ぎると感じていた予想とは違い、ノスタルジックで、どちらかと言うとレトロな感じを受けさせた。

他の観光客と並びながら、冬希は交差点を渡り、小樽オルゴール堂の本館へと進んだ。入り口近くに立つ時計塔のような蒸気時計の周りにはカメラを持った観光客が並んでおり冬希もそれに交じり、蒸気時計をデジカメに収めた。

入り口を過ぎると中はオルゴールの音色一色だった。入ってすぐの部屋から奥の広い売り場へと進むと音色はさらに多くなり、店内には歌謡曲やJPOPをオルゴールの音色にしたBGMが流れ、小樽のガラスでできたオルゴールや、先ほどの蒸気時計の形をした物、小物入れや宝石箱を兼ねているものなど様々な種類のオルゴールが並べられている。


階段を登った上の階も含め、一通り見て周った冬希は、一階の奥の売り場へと戻ってきた。上の売り場で飾られているオルゴールは、綺麗な艶と装飾を施した、おとぎ話にでも出てきそうな物で、見ため通りの値がついており、冬希には手が出せる品物ではなかった。

キーホルダー、葉書、天使や動物の形をした物、愛海へのお土産を選んでいく、思えば自分でオルゴールを買うのは今回が初めてだ。

そんな中、冬希は面白いものを見つけた。オルゴールの中の部分と、外の箱が別々に売り場に出されている。中の音を奏でている部分は曲名やアーティスト別に分けられており、そこから好きな曲を選び、箱を取り付けるようだ

冬希はそこから愛海の土産を選ぶことにした。完全なオリジナルというわけではないか、曲と箱の選び方により新しいオルゴールができるような思いが出てきたからだ。

冬希は一つ一つ、曲名とアーティスト名をチェックしていく。愛海の好きなアーティストの曲にしようかと思っていたが、思っていたより多くの曲がある。映画やアニメなどの音楽もあった。

その中の一つに冬希は目を止めた。手にとってねじを回し、回り始めた音盤に耳を近づけてみる。緩やかに響く、金属の弾かれるその音で奏でられるその曲は、何故か冬希の心を切なくした。

そのアーティストには冬希にも覚えがある、たしか北海道出身で、最近では東京の番組でもよく目にする。

「川原 鮎」     「曲名  kitae」

冬希はこの曲に決めた。曲も気に入ったが、北海道出身ということもあり土産にはもってこいだ。

外の箱を選びレジで組み立ててもらい、包装をお願いし、宅配便の手続きを行う。自分の手で土産を渡せないのは残念だが、まだ旅は始まったばかりだ、仕方が無い。

 

お土産を買い終えた冬希は、出入り口へと向かった。時間は少し夕暮れに差し掛かったぐらいで、夕食の店を探しながら運河のお店周りをもう一度じっくり行うつもりだ。

店から出ようとしたとき、足元に何か光るものが落ちているのに気付いた。チェーンのような物がついていたからネックレスだと思ったが、拾い上げてみると、先についているのは十字架、ロザリオだ。

金属で少し重く、控えめな装飾には、人が今まで何度も握り締め、祈りを捧げていたような後が見え、アクセサリーにもお土産にも見えない。冬希はロザリオを手にレジへと引き返した。このロザリオは誰かの大切なもののように感じられたからだ。

「だ、だからその・・・・大切なのです」

レジは少し混雑していた。レジ横のカウンターで誰かが店員に詰め寄っている。

それは金髪で長身の男性で、どうやら何かを探しているみたいだ、必死なのだろうか少し言葉使いがおかしいように感じる。後ろで待っていたが時間が掛かりそうだ。

「お客様、どうかなされましたか?」

冬希に気付いた店員が冬希に話しかけてきた。

「これを入り口近くで拾ったのですが」

ロザリオを見せながら説明していると、冬希達に気付いた男性が振り返り、驚いたような表情で冬希を見つめた。いや正確には冬希の手にあるものを見ていた。冬希はその男性に見覚えがあった。

「それです。それが私のやつです」

冬希の手にあるロザリオを指差した男性、いや青年は、工藝館の工房にいた青い目をした青年だった。



「本当にありがとうございました」

もう何度目かになる御礼の言葉を青年は冬希に掛けた。

工藝館で冬希が目にし、そして冬希が拾ったロザリオの持ち主のその青年は、アレンダ・ハンという名のロシアから来ている留学生で、工藝館で働きながら市内の大学へと通っていた。

「これは、私のとても大切な物なのです」

オルゴール館を出て、冬希たちは運河沿いの道を工藝館の方へと歩きながら、簡単な自己紹介などをして話していた。

「見つかってよかったですね」

「はい、これも藤堂さんのおかげです」

「僕はたまたま拾っただけです。特に何もしていませんよ」

「でも藤堂さんは、これを届けてくれました。だから藤堂さんのおかげです。」

カスレスは故郷の人に送る贈り物の中に、オルゴールを入れようと思い、休憩時間中にオルゴール館に訪れていたのだが、オルゴールを選んでいるときに、ロザリオのチェーンが切れてしまい、レジで自分の首にロザリオが無いことに気付き、慌てて混乱してしまっている時、そこに冬希が現れたのだ。

「私、なにかお礼がしたいです」

「えっ・・・」

「そうだ、冬希さん夜のご飯、予定ありますか?よかったら私にご馳走させてください」

「え、でもそこまでしてもらわなくても」

「いえ、私は冬希さんに、ゴオン(ご恩)あります。私はそれのお礼したいです。日本でもロシアでもその気持ち変わりません」

「それとも・・・・ご迷惑ですか・・・・?」

冬希の少し戸惑っている様子を感じ取ったのか、ハンは不安そうな顔で冬希に尋ねた。

「いえ、そんなこと無いですよ、ならせっかくなので」

「よかったです」

ハンは嬉しそうに答えた。ロザリオを拾ったことが、このようなことに繋がることなど冬希はまったく考えていなかったが、せっかくのご好意、そしてハンはとても明るく、人のよさそうな青年に感じたので、冬希は夕食をご馳走になることにした。

「でもあまり・・・・お寿司とかは期待しないでください、でもとてもおいしいですよ」

 

 

 

辺りはもう暗くなり、運河が街頭で照らされたころ、冬希はハンと待ち合わせた。

ハンは工藝館に戻らなくてはならないため、1度二人は別れ、再び待ち合わせることにした。冬希は再び運河沿いの店などを周りながら時間をつぶし、約束の7時前に、工藝館からほど近い待ち合わせ場所の交差点にあしを運んだ。

運河と店が立ち並ぶ通りを結ぶその交差点に、ハンはもう待っていた。

「すいません、待たせてしまいましたか?」

「いいえ、そんなことありません。冬希さんこそわざわざありがとございます。」

お礼とはいえご馳走になるのに冬希は礼を言われてしまった。

「ではいきましょう、ここからすぐですよ」


辺りはもう暗くなり、運河が街頭で照らされたころ、冬希はハンと待ち合わせた。

ハンは工藝館に戻らなくてはならないため、1度二人は別れ、再び待ち合わせることにした。冬希は再び運河沿いの店などを周りながら時間をつぶし、約束の7時前に、工藝館からほど近い待ち合わせ場所の交差点にあしを運んだ。

運河と店が立ち並ぶ通りを結ぶその交差点に、ハンはもう待っていた。

「すいません、待たせてしまいましたか?」

「いいえ、そんなことありません。冬希さんこそわざわざありがとございます。」

お礼とはいえご馳走になるのに冬希は礼を言われてしまった。

「ではいきましょう、ここからすぐですよ」

ハンはそう言うと、工藝館とは逆の方へと歩き出した。

 

 

ハンが案内してくれたのは、いくつもの店が立ち並ぶ小さな飲食街のようなところで、一つ一つの店の広さはあまり無いが、様々な種類の食事が楽しめる場所となっている。

「ここです。」

ハンに案内され、冬希が入ったのはその中の一軒。店の広さは周りの店と同じくらいで、どちらかというと屋台に近い。飾り気の無い店内は厨房を取り囲むように置かれているカウンター席がほとんど店の中を占めており、奥に小さくテーブル席が一つ、簡単に設けられている。

「いらっしゃい」

40代ぐらいのおかみさんと、その旦那さんらしい板前が厨房の中から声を出す。

「あら、ハンちゃん、いらっしゃい」

ハンはここの常連らしく、おかみさんと親しそうに挨拶をかわす。そして奥のテーブル席へと向かった、冬希はハンの後ろから着いていく。

「ご注文、お決まりになりましたらどうぞ」

おかみさんがお絞りと水を置きながら言う、どうやらここは壁に掛けられたメニューから、注文を選ぶらしく、冬希は店内に掛けられているメニューを見渡すと、海の幸を使った料理の名前が多く掲げられている。

「ここの料理、とてもおいしいです。」

ハンはどうやら注文する料理が決まっているらしい、はじめてきた店で何も分からない冬希はハンに参考のため尋ねてみた。

「ハンさんは何を頼むのですか?」

「私はこのテイショク頼みます。テイショクはいろいろ付いてて、オトクです」

冬希はハンの指したメニューを見る、そこには揚げ物を、刺身などのおかずがついた定食が書かれている。

「なら僕はこれで」

「はい、お待ちください、AとBのランチ一つ」

冬希が焼き物定食を注文すると、おかみさんは厨房にいる板前に注文を伝える。「はいよ」と意気の良い返事と共に板前は材料を冷蔵庫から出し始めた。

「ここの、ご主人とお母さん、とても親切です。私、ここに着たばかりの頃からお世話になってます。」

「ハンさんはたしか留学でしたよね」

「はい、私の大学の他の国との交流などを目的とした、留学制度利用してます。」

「偉いですね、他の国の文化を学ぼうなんて」

「え、は、はい、とても勉強になります。」

その時ハンが少し戸惑ったように冬希は見えた。

「冬希さんは何故、北海道に」

今度は冬希戸惑う番だった。死んだ父の行った場所を回っているとか、幼き頃に分かれた幼馴染の手紙を見つけたからなど、初対面の人には説明しづらいことが多い。悠里のときとは少し状況が違う。

「以前、父が北海道に来ていて、自分も見てみたくなって」

「そうなんですか、北海道は綺麗なところ多いですからいいですよね」

大事な部分は省いてしまったが嘘ではない。しかしハンの笑顔をみると、冬希は少し後ろめたい気持ちになった。


二人の前に料理が運ばれたのは冬希が自分の父、写真家仁、の話しをしている時だった。主に自然の風景や景色をカメラに抑えていた仁の活動を、ハンは興味深そうに聞き入っていた。仁は生前、ハンの故郷、ロシアにも足を訪れたことがあり、冬希はうろ覚えではあったが、仁が訪れたロシアの町や地域の名前を出すと、ハンは嬉しそうに、また懐かしそうな顔をして、冬希に故郷の話しをしてくれた。

料理が運ばれてからは二人、口数は少なくなり、料理を口に運んだ。冬希の前に置かれている焼き魚定食は、少し甘く煮込まれており、白いご飯に良く合い、食力を進ませた。

「どうですか?」

魚の揚げ物をつつきながら、ハンが冬希に尋ねる、実直な感想を伝えると、ハンはまた、まるで自分が作った料理を褒められたかのように、嬉しそうに笑った。

思えば冬希は今まで、外国人と呼ばれる人と、こうして面と向かって話したことは無かった。背の高く、金髪の目の色が違うハンは、冬希の頭にある外国人のイメージそのままといってもよかった。

しかし、ハンの屈折の無い笑顔は、冬希にも安心感を持たせた。札幌で出会った悠里とはまた違う、やさしさがそこにはあった。

「冬希さん・・・・・」

「えっ?」

「いえ、す、すいません・・・・」

その時のハンは今までとは違う神妙な口調だったが、その時のハンの寂しげな目に冬希は聞き返すことができなかった。

冬希は気がついていなかった、冬希に安心をもたらすハンの笑顔が、幼き頃の式那の笑顔にどこと無くにていることを。


 

食事を終え、おかみさんたちの元気の良い声で見送られ、冬希たちは店を後にした。

小樽の夜は昼間よりさらに冷え込んできた。冬希は少し身を震わしていたが、ハンはまだ平気そうで、あまり星が見えない夜空を見上げていた。

二人は途中まで一緒に帰ることにした。携帯を持っていないというハンに冬希は手紙を送る約束をした。このたびで新たに得られたものがまた一つ、確実に増えた。

「冬希さんは、お父さんこと、好きなんですね」

白い息を吐き出しながらハンは言った。

「ええ、好き・・・というより尊敬・・・・・に近いかもしれませんけど」

「冬希さん、お父さんと同じものを見たくて北海道まで来たのです。それはなんにせよ、お父さんのこと想っていなければできません」

「ハンさんは・・・・寂しいと感じたことありますか、家族と離れて、一人生活して」

冬希は異国に一人やって来たハンに、昔、父を失い一人になったと思った自分を、どこか知らぬ間に重ねていた。

「さみしい・・・と思うことあります。でも私頑張ります」

「ハンさんも家族のこととても大切に想っているのですね、今日だってわざわざ自分で選んだオルゴールを送っていましたし」

その時、急にハンは立ち止まった。気がつけば、ハンの宿舎と、冬希のホテルへと分かれる交差点にもうたどり着いていた。

「はい、私は家族をとても愛しています。あのオルゴールの曲はとても綺麗です。きっと天まで届いてくれます」

(天・・・・・・・!)

ハンは上を向いたままだった

「私の家族は、故郷の丘に眠っています。交通事故でした」

「・・・・・・!」

「私だけ、軽傷ですみました。たまたまです。でも父や母は・・・・」

冬希は自分がなんて軽率なことを口に出してしまったか理解した。しかし、すぐに何かを口にすることはできなかった。

「父が残してくれた財産が少しあり、生活は大丈夫でしたが、心は違いました」

冬希はハンに昔の自分を重ねてしまっていた。しかし、それは冬希が自分で意識したものではなく、しかも一方的なものだった。

「私は何も出来なくなってしまいました。学校にも行けず、人を上手く受け入れることもできません」

しかし、今、冬希はハンに自分を重ねずにはいられなかった。

「その時、私を癒してくれたのは『天から降る星』と、日本でのある人の話しです」

『 』のところは冬希には聞き取れなかった、それは冬希の聞いたことの無い、ハンの故郷の言葉だった。

「私は友人から聞きました。その人は家族のことで悩んでいました。本当に悩んでいたそうです。そしてその人は、故郷をはなれここ小樽へ一人来ました。その人が何故日本に来ようと思ったか、本当のことは僕には分かりません。でも、その人はとても頑張りました。初めは一人で、何かを変えることはとても難しかったそうです。でもここで人と出会い、少しずつ変わっていったそうです。その人はその変わっていく心を、ガラスにも籠めました。そのガラスは今では工藝館の人気商品です。」

(工藝館?)

「私その話しを詳しく聞いて、その時の自分が怖くなりました」

「自分が・・・怖く・・・」

「私、今の自分には何も無いから、失っているから、何もできないと、自分で思ってました。けど、その人の話、聞いた後、思いました、自分が何もできないじゃなくて、何もしていないと、そしてこのまま本当に何も無くなってしまうかと」

(何もしていない・・・・)

ハンの言葉を冬希は心のなかでつぶやく

「だから私、日本に、工藝館に来ました。日本には『天から降る星』で以前から知っていました。なにをすれば良いのか分かりませんでしたが、何か・・・・何かを・・・・知りたかったのです」

「ハンさんは・・・・その人に・・・会えたのですか?」

「はい、その人私の相談にもよくしてくれました。今では毎週、ロシアの両親に手紙を書いています。」

「私、まだここで、とても確かなもの、見つけていないと思います。でも小樽に来て良かったと思ってます。つらいこと分からないことありますけど、今ならあのときの自分に何かを言える気がします」

「私は自分の弱さが怖かったのです・・・それは今でも心にあります」

ハンはまだ夜空を眺めていた。冬希にはハンがいまどのような顔をしているのか良く分からない。

「このような話、唐突過ぎるのはよく分かってます。けど冬希さんに出会って私知りました。これは運命です、神様が与えてくれた。」

(運命・・・・?)

冬希にはそのわけが良く分からない、しかし、ハンが何か冬希に伝えようとしているのは感じた。

「私はここで知りました。一人になることではなく、一人で何か始めてみることが、新しい出会いを生みます。

冬希さんも・・・・・きっと・・・・・」

ハンはその後何も言わなかった、冬希も何も言えず、ただ二人は黙っていた。夜の小樽はあまり人気は無く、風は冷たい。

「すみません、いきなりこんなこと話してしまって」

ハンは長い沈黙を破ると、初めの明るい笑顔になった。

「トマドリましたか」

「え、い、いや・・・」

思わず口にしたが実のところ冬希は戸惑っていた、何故ハンは今日会ったばかりのハンにこのような話をするのだろう。

「寒くなってきましたね、そろそろ帰りましょうか」

「ハンさん・・・・あの・・・」

冬希は次の言葉が出てこない、何を聞けば良いのか分からなかった。

「冬希さんとはまた、いずれ会いたいです。その時は私の故郷のとても綺麗なところもっとお話しします。天から降る星を」

「天から降る星?」

冬希はその言葉の聞き覚えがあった。しかし、それをすぐに思い出すことができない。

「僕も、またハンさんとゆっくりお話したいです」

「はい、ありがとうございます」

ハンはまた、とても嬉しそうに笑った。




二人は別れを言うと、お互い別の道を歩き始めた。交差点で冬希はハンの姿が見えなくなるまで立っていた。ハンは一度も振り返らなかった。

 ホテルでの帰り道、冬希はハンの話したことを思い返した。ハンが何故、自分の過去を話したのか、それは分からないが、冬希には一つ分かったことがあった。

 それはハンと自分の違い、冬希はハンの話を聞き、自分はハンに昔の自分を重ねていたことを自覚した。そして、ハンの強さと自分の弱さを知った。

 不幸に見舞われても、大きな傷を負っても、ハンは自分で一歩踏み出した。自分自身の弱さを知り、克服するために。しかし、冬希はそうでなかった。

 

街頭が灯る小樽運河、冬希の目には寂しげに映る。ハンの思いに冬希は触れる時は来る。この北の大地で

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