3章 何故に君は帰らない

 

 札幌市内のとある喫茶店。紅茶が売りらしく、様々な種類の紅茶がカップに注がれ、店内の客達の前で湯気を立っている。

式那の眠る丘から場所をここ移した冬希たちは、店の一番奥の席。窓側のなかなか良い席に腰をおろした。これが恋人同士ならなお良かったのだろうが。

彼女、式那に声をかけてきた少女は神余 悠里といった。冬希の感じたとおり、北海道の札幌市内に在住の大学生で、冬希より一つ年下である。

「冬希・・・あっ、すいません。藤堂さんの話はよく式ちゃんから聞いていました。」

「冬希でいいですよ」

おとなしそう、よく言えば清楚でかわいらしい少女である悠里は、少しおどおどしていると言っても良い印象も受ける。

「式ちゃんとは、とても仲良くしてもらって、その時引っ越す前によく遊んだ冬希さんのことを、楽しそうに話してくれました。」

「そうなのですか、式那さんが・・・」

こちらに来てからの式那のこと、事故のこと、聞きたいことは色々で、それは悠里も同じらしく、式那が北海道に来ても、自分のことを忘れずにいたことは嬉しいが、今の冬希にはその嬉しさも少し痛々しい。

テーブルに届けられたレモンティーとダウジングは少しずつ、熱とおいしさを失いつつある。二人がここに来てから会話はほとんど無く、やっと二人の知っている式那のことを語り始めたばかりだった。

悠里の話ではこちらに来てからも式那は変わらず、明るく、活発な少女で、悠里ともすぐに友達になってくれたという。悠里が冬希の名を知っていたのもその経路から聞いていたのだという。

「・・・事故だった・・・と聞いていますが・・・・」

冬希は自分の本当に聞きたいことを切り出した。悠里の顔が一瞬、戸惑うようにも悲しそうな顔にも見える複雑な表情へと変わった。

「はい・・・前からきたトラックを避けようとして・・・そのまま・・・その・・あの・・・か、家族皆さん・・・・」

悠里が言葉を詰まらせる。その瞳には潤み、涙が溢れそうだ。

「い、いえもう・・・すいません、いやな事思い出させてしまったみたいで」

冬希は自分の無神経さを後悔した。悠里は式那の墓参りに来てくれるほど式那を慕っていてくれているのである。もう少し考えて話し出すべきだったかもしれない

またそこから少し沈黙の時間が流れた。冬希は悠里が落ち着いてきたころを見計らい、このままの沈黙を破るため口を開いた。

「式那さんとは、どうやって・・・」

たいしたことが浮かばず、冬希は頭に残っていたことを口にした。

「家が近かったんです。それで、式ちゃんがこちらに来た夏・・・いや秋に入ったぐらいです。式ちゃんとご両親が家に挨拶に来て。」

悠里に少し笑顔が戻った気がした。悠里の中にも式那の色あせない思い出があるのだろう。

「それから、式ちゃんと良く遊ぶようになったんです。その・・・・よろしければ冬希さんのことも聞かせていただいてもいいですか」

「僕も同じような感じですよ、僕の場合は自分達が引っ越してきて・・・・」

「い、いえ、そうではなくて」

悠里の顔が少し赤くなっている。悠里はそれを隠そうとするかのように、もう冷めてしまっているレモンティーを口へと運んだ。

「冬希さんは、式ちゃんに会うために北海道へ?」

冬希は心臓がドキリとした。確かに式那のことも今回の旅行への要因の一つであるが、仁の残した、自分に伝えたかった何かを探すためでもあるのだ。それを冬希は今、自分が少し忘れかけていたかのようだった。

「ええ、それもありますが、観光というか・・・父の思い出めぐりとでもいうのか」

「思い出めぐり?」

冬希は簡単にこれまでの経緯を話した。仁が残した資料、式那の手紙。冬希の生い立ちなど、プライベートな、心の深い部分を聞いてはいけない気がしたのか、悠里は慌てていたが、冬希は気にしなかったし、そんな仕草が少しかわいらしく見えた。

「それでどのあたりを周る予定なのですか?」

「札幌に知り合いがいて、そこから小樽、函館、美瑛、知床を周ろうと思っています」

「函館・・・・知床・・・・なんだかすごい旅行になりそうですね」

悠里の言うとおり、もう少し効率よく北海道を周ることもできるかもしれない。しかし、初めての冬の北海道では、やはり交通機関などを考えこのプランにした。元々今回の旅行で仁の回った所を全て周ることはできないし、小樽以外の場所は仁の周ったルートの中に含まれているのでさほど問題はなかった。

「それでこれから札幌を周る予定なのですか?」

まだ夕方になる少し前ぐらいで冬希は時間に余裕があった。

「そのつもりです」

「・・・・・・」

少しの間の沈黙の後、悠里は決意を固め、意を決したような顔で冬希に切り出した。

「あ、あのもしよろしかったら・・・・・」



「ここが時計台です」

冬希と悠里は札幌の、いや北海道を代表するといっても良いスポットへ来ていた。

「明治11年に建設された、日本で最も古い塔時計とも言われています」

「明治11年・・・100年以上の歴史があるのか」

「当時は軍事訓練とかを目的に建てられたらしいですけど、まさか100年経っても残っていて、札幌のシンボルになり続けるなんて、昔の人、予想できなかったでしょうね」

「そうだね、誰にも予想できないよ」

悠里が喫茶店で冬希に切り出したのは、自分に札幌の案内をさせてほしいということだった。

初めて札幌に来ている冬希にとっては、土地勘もなく、ガイドブックすら持っていない現状で、1札幌市中心を歩くには、少々不安も会ったし、観光スポットまでたどり着くまでにさ迷い歩くのは容易に予測できた。

それに悠里とはもう少し話してみたかった。悠里の登場が式那の死という受け入れたくない、大きな衝撃を幾分かやわらげてくれた気がした。自分の思い出と同じ式那を知っている、それだけで冬希にとっては、悠里が自分と同じ想いを共有している数少ない人間に感じられた。

冬希は悠里の申し出を受け、2人は札幌市中心へと移動したのである。

悠里は冬希を様々な観光スポットへ案内してくれた。旧北海道庁、大通り公園、テレビ塔悠里はスポット一つ一つに自分の知識を総動員して解説してくれているらしく、それが冬希には微笑ましく、とてもうれしかった。

「冬希さん、写真撮られるならこの位置がいいですよ」

そこは時計台の前身がはいる撮影場所でどうやら市か、時計台のほうが定めたらしく、白い文字で記されていた。

「そうだね」

冬希が移動し、位置を確認したあと、悠里は冬希から受け取ったデジカメを構えた。

「私撮りますよ」

「えっっつ!」

ふいに声をかけられ悠里は思わず声を上げた。悠里たちに声を掛けてきたのは60歳ぐらいの老夫婦で、どうやら冬希と同じ、旅行者のようだ。

「えっえっ、でも・・・・」

「いいからいいから」

奥さんらしい、おばあさんに急かされ、悠里は言われるまま、冬希の隣に移動した。悠里は困惑した顔で冬希を見てきたが、老夫婦の好意を無駄にはしたくなく、二人は写真をお願いすることにした。

「じゃあ、撮りますよ、もうちょっと二人ともよって」

冬希と悠里の間には微妙な隙間があったが、冬希はデジカメを構えるおじいさんの指摘に沿い、悠里との距離を詰めた。

悠里が思わず顔を赤らめ、うつむいてしまう。そんな姿を見ると冬希の体も自然に熱くなってしまう。

「お二人さん、撮りますよ、はいチーズ・・・・・・・」

 

 

写真を撮ってくれた老夫婦にお礼を告げ、別れた後、二人は少し疲れたため、ある喫茶店に入った。そこは悠里も入ったこと無い店だった。

「前から気になってはいたのですが、機会が無かったもので・・」

そこは西洋風の内装に、目立ちすぎない、しかし存在感があるアンティークが飾られた光次郎の「D,D」よりも少し小さい店で、冬希には「D.D」と同じような落ち着いた雰囲気が好印象であった。

「いらっしゃいませ」

出迎えてくれたのは店の雰囲気と同じ、やさしそうなおばあさんで、カウンターにはこれもまた、やさしそうなおじいさんがコーヒーカップを拭いていた。夫婦でこの店を営んでいるように見える。

「コーヒーを二つ」

心の中で今日はご老人と縁があるな、と思いながら注文をした。

「あの・・・疲れてしまいましたか?」

「いや、そんなことないよ」

今日、悠里と札幌を回った時間は、冬希にはとても楽しかった。式那のことのショックは大きかったが、悠里がそれを和らげようとしているのを冬希は強く感じていた。

「明日は小樽、その後函館への移動ですか」

「うん、その後美瑛と知床だから正反対のところにいくんだよなぁ」

「大変ですね」

「うん、でも少しでも広く北海道を回りたいからね」

「冬希さんのお父さんすごいですね、今までに北海道のほとんどの場所を回ってしまっているのですから」

「そう・・・だね・・・」

冬希の父、仁は北海道に特別な想いがあったのは、残したモノなどから明確だ、この旅で少しでもそれを感じたいと冬希は思っていた。

「このスポットはその中でも特に父の想いが強いと思うんだ・・・・多分だけど・・・」

「冬希さんがそう思うならきっとそうですよ」

悠里はそう言うと明るい笑顔を見せた。その姿に冬希はまた体が熱くなってしまう。

「す、すいません。根拠も無く・・・無責任な発言で」

「いいえそんなこと無いですよ、それに僕は父が旅をしたところに行ってみたいのですから」

(そういえば、今の悠里さんのこと何も知らないな)

こうやって話していても、話題は冬希のことが多かった。冬希が話すと悠里はうれしそうにしていたため気にはならなかったが、悠里が自分のことを話すことはあまりなかった。

(少し悠里さんのことも聞いてみようかな)

「あの・・」

「お待たせしました」

冬希が話しかけようとしたとき、丁度注文したコーヒーが運ばれてきた。タイミングが重なったため冬希の声は悠里には届かなかった。タイミングを逃した冬希はなんとなく、話しを切り出しにくくなってしまう。

悠里が運ばれてきたコーヒーを受け取り、砂糖とミルクを入れていると、ふい何かに気付いたようにカウンターの方を見た。

「綺麗な・・・・・写真」

悠里につられて冬希はカウンターを向いた。今までおじいさんのマスターの影で見えなかったが、マスターが奥の部屋に行ったため、そこに飾ってあった拡大した1枚の写真が姿を現していた。

冬希はその写真をみて思わず、口につけようとしていたコーヒーの手を止めた・・・・・

 

そこに飾られていたのは、偶然にも、仁が残した、どこかの国のどこかの白い壮大な雪原の風景をおさめた作品だった・・・・


喫茶店での思わぬ出会いと、少し渋めで風味の良いコーヒーを味わい、冬希達は店を出た。帰り間際におじいさんが冬希に向かって、

「彼女を大事ね」

と、勘違いをしていたことを知り、冬希は慌ててしまった。悠里には聞こえなかったみたいだが、周りや外からは、自分達はそう見えているのかと思うと、ヘンに意識をしてしまいそうだ。

悠里は写真家の仁の名前は知っていたが、喫茶店に飾ってあった写真が仁の作品だとは気付かなかったようだ。仁の作品は殆ど目にしている冬希は、仁の作品は他の物とは違う、美と存在感があると感じていたが、他の人が一目でわかるのは難しいようだ。

辺りはもう夕暮れに差し掛かっていた。今二人が歩いている大通り公園はもう少ししたら色鮮やかで、きらびやかなイルミネーションで飾られる、天気は崩れなかったが、やはり風は冷たい。

「今日はありがとう、わざわざ案内をしてくれて、楽しかったです」

「いいえ、こちらこそ」

冬希はそろそろ駅へ向かわなければならなかった。光次郎の友人の所へ行く時間が迫っている。

「あ、あの・・・そ、その・・・・ま、また時間があれば・・・」

「また、連絡しても?札幌にいる時間もありますし」

悠里の言葉が終わらないうちに、冬希は口を開いた。自分がこんなに積極的なセリフを女性に放つのは珍しい、そう冬希は感じていたが、考える前に口が先に開いていた。

「迷惑かもしれませんが・・・・」

「いいえ、そんなことありません。札幌でなくても何時でもしてきてください」

悠里は顔を赤くしながらも、とても嬉しそうだ。悠里も同じようなことを考え、冬希に伝えようとしていたのだろう。

二人はその場で携帯の番号とメールアドレスの交換を行い、お互いまた礼を言い合って別れ、冬希は駅の方へ向かい歩き出した。

途中で振り返ると、悠里はまだ別れた所に立って冬希を見送っていた。小さくなったその人影はどこか寂しげに感じ、また自分もどこか寂しと感じた。

悠里は流れ行く通行人の中、冬希の姿が見えなくなるまで、その背中を見送っていた。


冬希が光次郎の友人、田辺の家に着いたのはもう辺りが暗くなった頃だった。札幌駅の地下鉄ですぐの住宅街。光次郎から貰った住所のメモを片手に、形は違えども、今の冬希には同じように見える家々の迷路をさまよいながら、何とかたどり着いたのは、茶色の外壁に、車2台分のスペースをもつ2階建ての住宅だった。

出迎えてくれたのは冬希の予想とは違っていた人だった。光次郎の友人のサーファーということなので、光次郎のような筋肉質の体をした、肩幅のある人間を予想していたが、出迎えた田辺浩太は、背は冬希をよりも高い178から180cmはあるだろうが、体つきはどちらかというと細身のやさしそうな人物で、冬希を気軽に迎え入れてくれた。

光次郎とは高校の同期で、今でも付き合いがあるらしく、年に数回だが、顔を合わせているという。

もしかしたら仁のことも知っているのかもしれないと思い、冬希は尋ねてみたが、仁の名前を知ってはいたが、それは写真家としての仁の名前で、直接会ったことも無いということだった。

他の家族は今家にはおらず、妻の仁美は実家のお花の教室のため帰郷しており、一人娘である、香澄は、高校のテニス部の冬季合宿に行っており、二人とも週末には帰ってくるという。

「今日は市内を回ったのかい?疲れたなら、部屋に案内するよ」

客間に通され、簡単な挨拶や自己紹介、話が終わると、浩太は笑顔で冬希に問いかけた。穏やかそうな浩太の笑顔は、冬希に安心感を持たせた。

浩太の言葉に甘え、冬希は部屋に案内してもらうことにした。知らない町を歩くのがこんなに体力を使うと、久しぶりに実感していたからだ。

二階に繋がる階段を上り案内されたのは、今は使っていないという部屋で、中は8畳ほどの広さで、奥にベッドとその隣に、机が置かれていた飾り気の無い部屋だった。

「また詳しい話は明日にでも、あっ、そうか明日は小樽に行くのだっけ」

「はい、そのまま函館にも向かう予定です」

「何かあったら、声を掛けてくれればいいから、下の部屋にいるから」

そういうと浩太は部屋を後にした。下の部屋には書斎があり、浩太はそこで、ライターの仕事をしているらしい。

一人になった冬希は荷物を置くと、ベッドに体を投げ出し、今日のことを思い出していた。

式那との衝撃の別れと、悠里との出会い。式那には会えるか分からないと思ってはいたが死別は考えもしなかったし、その式那の墓の前で悠里という新たな出会いがあるとは思ってみなかった。

冬希は成長した式那の姿を想像してみた。元気で明るかった子供のころの式那ばかりが頭に浮かびよく考えられなかった。

冬希は再び湧き上がってくる悲しさを振り払うと鞄から、仁が残した茶色い手帳と、携帯電話を取り出した。携帯電話を開き、光次郎の携帯に連絡を入れる。しかし、数回のコールのうちに留守電につながってしまった。無事に着いたことを直接声で知らせたかったが仕方が無いので、留守電にメッセージを入れておいた。

悠里にもメールを送っておいた。たいした用も無いのにメールを入れると迷惑かと思ったが。何時でも連絡を入れてもいいと、言っていた悠里の言葉が頭に浮かび、今日の案内のお礼を文字にした。少し前まで会っていたのだが、その時間はすぐに過ぎてしまったようにも感じられた。それはどこか式那と共に遊んだ幼い日々に似ている。

携帯電話を閉じると、冬希は茶色い手帳を開いた、そこには仁が北海道を回ったときの日記が書かれており、冬希は自分の知らない名前の土地を連想しながらページをめくった。

その中で札幌の文字が目に留まった。

12月・・・日

札幌に立ち寄る。ここはいつもいろいろな人で溢れている。今日初めて、時計塔や旧北海道庁などをこのカメラで写してみた。私が撮らなくても、数え切れないほどの人が写し、多くの人の目に留まるこの場所を今まで自分が撮らなくてもいいと、感じていたが、冬希には、やはり自分の手で撮ったもので見てほしいと思う。親ばかかもしれない。

街角の雑貨屋で、気に入った絵葉書を見つけたので、妻と冬希に出した。白い雪原にそびえ立つ、雪を見に纏った一本の木を描いた絵葉書で、私達の写真という作品には出ない、北海道の自然の優しさを感じさせる。

この絵葉書が届く頃には私は函館だろう。

 

冬希は仁が送ったという絵葉書を思い出してみたが、仁が旅先から絵葉書や封書を送ってくれるのは珍しいことではなく、幼かった冬希の記憶を思い出すことは出来なかった。

仁の絵葉書の絵を想像しながら、冬希の意識は徐々にぼやけていった。

 

白い、どこまでも広がりそうな輝く大地に、雪の結晶のドレスを身に纏った一本の木。

キラキラと輝く、その景色にいるのは・・・・・・いるのは・・・・・

 

冬希の意識は深い眠りに飲み込まれ、その景色もまた最後まで冬希の頭に姿を現さず消えていった。



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