第2章 北へ〜ここに何か
12月も終わりに近づいた北海道は真っ白に染まっていた。毎年地球温暖化で雪が少なくなってきているというが、今年は例年に比べ雪が多く、千歳空港から札幌までの電車の窓から見える風景も雪景色ばかりだ。
そんな景色を眺めながら、冬希は迷っていた。
初め、空港に降り立ったとき、冬希には軽い興奮と期待が湧き上がってきた。まだ空港に着いたばかりだったが、ここは自分の全く知らない土地であり、いつもテレビやメディアでしか見たことの無い、北の大地に足を踏み入れたことと、仁が伝えたかった何かがここにあるのだと思うと、冬希に初めての一人旅の不安を打ち消してしまった。
意気揚々と空港から出ている電車に乗り込んだが、札幌が近づくにつれ、あることが冬希の頭によぎり、どうしても頭から離れなくなってしまったのだ、それは冬希が今右手に持っている手紙から来るものである。
今回の旅行は仁が行った場所、とりわけ知床に向かうのが1番の目的であった。しかし、この手紙もまた少なからず冬希を北へ向かわせる原動力になったのも事実であり、今の式那に会って見たいと思うのも無理は無かった。
(といっても・・・・会いにはいけないよな・・・)
最後に会ったのは小さい頃、引越しの時で、それ以来式那の姿を見たのは、家にあるアルバムの中だけで、成長した姿などお互い見たことは無い。そもそも、会いに行くとしてもなんと言って訪ねればいいのだろうか?引き出しからたまたま手紙を見つけたので、懐かしくなって来てみました。など言えるわけも無く、用事があって北海道に来たにしろ、数年間連絡もしていない相手にいきなり訪ねるのはどうだろうか・・・・・
そして1番肝心なのは、式那は冬希のことを憶えているのかということだろうかということだった。忘れてはいないとしても、冬希が想うほど式那がその記憶を大切にしているとは限らない、もし、式那にも冬希とすごした時間が良い思い出になっていたとしても、式那はそれを良い思い出にしておきたい、あの頃の冬希との時間にしておきたいと思っているかもしれない、そしたら今の自分を見てどう思うだろう、式那は冬希に会いたいと思っているとは限らない・・・・・考えれば考えるほど暗い考えが浮かんでくる。
「次は札幌〜札幌です。〜〜線乗り換えは・・・・」
(えっ!もう)
思いも考えもまとまってないうちに、冬希の降りる駅が来てしまった。式那に会いに行く、行かないにしてもここで降りなければならない。
(と、とりあえず降りないと・・・)
電車がゆっくりと速度を落とし、駅のホームへ収まっていく、冬希はバックを担ぐといつの間にか緑から都会の景色へと変わっていた窓の向こう、札幌へ足を踏み出した。
(たしかこの辺になると思うんだけど・・・)
札幌駅に降り立った冬希は、バックをコインロッカーに押し込むと、
会える、会えないにしても冬希は結局式那の町を訪ねてみることにした。ここまで来て後悔だけはしたくなかった。明日からは色々回るかもしれないので行くなら今日しかなかった。
平岸駅で道を尋ねた駅員さんの言うとおりなら、式那が住んでいた所(当時の住所では)このあたりになるはずだが、冬希にはここは初めて訪れた町であり、そうすんなり目的地には着かないのだ。
「ええっと・・・ここを曲がるとさっきと同じだから・・・・」
再び同じところに戻ってきてしまった。今まで自覚したことはなかったが、もしかして自分は方向音痴なのでは・・・・と冬希が自身を思い始めていた時
「あ・・・・・ここか!」
曲がり角を曲がり少し行くと白いアパートが見えてきた。駅員さんの話しと一致する外観、特徴もぴたりだ。冬希は早足で駆け寄ると入り口の表札を覗き込んだ。
『ローズヒル南平岸』
確かにここだった。式那の手紙の住所ではここの20X室となっている。冬希は湧き上がってくる興奮を抑えながら入り口を通ると、そこから近くにあった郵便桶の20X室を探した。
しかし、そこには何も表示はされていなかった。式那の名も、誰の名も書かれておらずそこだけぽっかりと空いた状態で冬希には空っぽの宝箱のように感じられた。
冬希はこれは予想していたことの一つでもあった。何せ冬希が頼ってきたこの住所は、数年まえのもの。式那達家族が引越していても不思議ではない。しかし考えていたとしても冬希には残念なことには違いなく、落胆が押し寄せてきた。
「あんた、どうかしたのかい?」
「は、はいい!」
冬希が郵便桶の前で動けずにいると、後ろからふいに声をかけられ、冬希の頭は一瞬パニックになってしまった。
「もしかして、気分でも悪いのかい?」
「いいいえ、大丈夫です。」
冬希に声をかけてきたのは、栗色の髪をした30歳ぐらいの女性で、外見から年齢を判断するのは難しく、もっと若くも見える。髪を肩の辺りから一つに束ねており、明るく活動的な雰囲気をかもしだしているが、どこかやさしさを感じる母性的な美人だった。奥から来たところを見るとここの住民だろう。
(や、やばい・・・もしかしたら怪しい人に思われたかも・・・)
郵便桶の前でただ、一点を見つけながらたそがれていればそう思われても仕方ないが、実際は落胆し、まったく覇気の無くなった冬希の姿を見かけ、体調が悪いのではないか声をかけてくれたのだが
「し、知り合いをたずねてきたのですが・・・」
必死に動揺を隠そうとしながら、冬希は20X室の郵便桶に目を落とした。
「ああ、もしかして20X室の秋元さん」
冬希の視線に気づいたのか、それともそこしか空きが無いことを知っているからだろうか、女性は冬希の目的が20X室であることを感じ取ったようだ。
「あの人たちなら先週引っ越して行ったよ、なんか子供が生まれるからローン組んで一軒家買うとかで、まったく・・・・新婚だかなんだか知らないけど、こっちは家族でずう〜とここに居るっていうのに、」
「秋元?・・・・ここに住んでいた人って秋元さんっていうんですか?」
「ああ、そうだけど・・・もしかして人違いかい?」
「あれ、おかしいな・・・確かにここのはずなんですけど・・・自分が尋ねてきたのは藤間さんなんですけど」
「藤間・・・・さん・・・」
一瞬女性の顔が曇ったようにも見えた。
「あんた・・・藤間さん尋ねてきたの?」
「はい、そうなんですけど、もしかしてご存知ですか?」
「ああ・・・藤間さんなら確かにここにいたよ」
「やっぱりそうでしたか、でももういないってことは、どこか引っ越してしまったのですよね」
「あんた知らないんだね・・・・あの人たちは今・・・・」
ローズヒル南平岸のある町内から少し離れた丘、ここからは式那が住んでいた町が良く見渡せる。そこで冬希は式那と再会を果たした。いや、それははたして再会と呼べるものだろうか。
『式那家え墓』
そこには家族の名とともに、確かに式那の名も綴られていた。
式那はあの手紙を出した後、冬希に会いに行かなかったのではない、行けなかったのだ。
いつも冬希の思い出の中で微笑んでいてくれた式那。冬希にあの笑顔を向けてくれることはもうない。
冬希はそこから動けなかった。頭が真っ白になってしまった。
会えないかも知れない、その考えは頭の中にはあった。しかしこのような結末は予想してはいなかった。色あせない思い出が残っている分、今の自分の心に穴が開いてしまったようだった。
北海道の冬の風が突き抜ける中、どのくらい冬希はそこに立っていたのだろう。冬希自身には時間の流れを感じることができずわからない。そんな冬希の時間を動かしたのは、ふいにかけられた言葉であった。
「あ・・・・あの・・・・・」
最初の声は冬希の頭には届かなかった。
「あ、あの」
「えっ!」
間抜けな声を上げ、冬希は振り返った。冬希に声をかけてきたであろう人物、女の子が、斜め後ろの位置に立っていた。
「こ、こんにちは・・・」
緊張しているのか、それとも寒さのためか女の子の顔は赤く、少しうつむきぎみの顔からは視線が定まっていないようだ
「こ、こんにちは・・・」
オウム返しのように挨拶を返した冬希であったが、それから少し静寂の時間が過ぎた、声をかけてきた方は次の言葉を考えているのか、それとも話し出せないのか、うつむいたままである。肩より少し長い髪は時折吹き寄せる風に左右に舞い、オレンジのダッフルコートと茶色の手袋、白いマフラー姿からこちらの人の印象を受ける。
「自分に何か・・・」
「いえ、そのすみません。・・・・式ちゃんのお墓に来てくれる人が珍しくて・・・お、思わず声をかけてしまって・・・」
「式ちゃん?」
「も、もしかして親戚の方とかですか・・・・」
「いえ、親戚とかではないです、何といえばいいかな・・・昔の友人、知り合いかな・・」
冬希が自分の説明に戸惑っていると、女の子が顔を上げ、口を開いた。
「し、式ちゃん・・・式那さんのお知り合いですか?」
「えっ!・・・・は、はいそうですが」
式那の名がでた突然の問いかけに、どう答えようか少し迷った冬希であったが、自分が式那の知り合いであることには違いなく、肯定することに恥ずかしいことはないと考えた。
「ま、間違っていたらすみません。式ちゃんのお知り合いなら、も、もしかして・・冬希、藤堂冬希さんですか?」
北海道の冬風の中、式那との決定的な別れとともに、冬希は彼女と出会った。この出会いが、式那がもたらしてくれた冬希を大きく動かす出会いとなり、冬希に仁が残してくれた奇跡を見せてくれる序章となることを、冬希は今知る由も無い