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北へ。〜声が聞こえる

 

第一章 空のように開いた傷の上を

その日の天気はどんよりとした曇り空だった。11月の終わり、東京の冬の寒さが身に染みる。

「寒っっつ」

急に吹いてきた冷たい風に冬希はコートの襟をあげた。朝の8時、すれ違う人も少なく、この天気のせいでもあってか、さほど広くない道路は寂しげに見え、冬希にいっそう冬の寒さを感じさせる。もしかしたら雪でも降るのではないかと思わせる冷え込みで、コート越しにも寒さが伝わってくるような感覚に、冬希はいっそう身を振るわせた。

冬希は歩調を早めた。店長には8時半にはつけると伝えたが、このペースだと着くのはギリギリになりそうだ。歩くたび口から出る息が白い。

(最近また冷えるようになったな・・・)

もう一つ向こうの大通りでは、早くもクリスマス1色だ。店先にはサンタやトナカイ、赤や緑のディスプレイが飾られ、大きなスーパーや百貨店にはクリスマスセールの文字が並ぶ。恋人のいない冬希にとってクリスマスはこれといって特別なイベントではない、しかし冬希はそれを寂しいと感じたことはない。冬希にとって、クリスマスは特別なイベントではないが、楽しいイベントではあるからだ。

             その理由はここにある

 

喫茶店「D.D」、茶色い塗装の外観に白色の看板。ガラスウィンドウの奥はまだ薄暗く、入り口のドアには「CLOSE」の文字が掛けられている。町中が、世界中がきらびやかに彩られても、何も変わらず、飾らず、いつもと同じようにたたずんでいるこの店が冬希に楽しいクリスマスを与えてくれる場所なのだ。

冬希はコートをめくり腕時計を見た。8時15分、思ったより早く着いた。中では店長が首を長くして冬希を待っていることだろう。 大きく息を吐き、白い雪のような看板を一瞥すると、冬希は「CLOSE」の掛かったドアに手を掛けた。

 中では店長の光次郎が首を長くして待っていた。がっしりとした大きな体が今にも店から飛び出したくてうずうずしているみたいだ。

「悪いな冬希。急に呼び出したりして」

悪いと言いつつ光次郎は満面の笑みであった。(光次郎の場合は本当に悪いと思っているだろうが・・・)

「いいですよ、今日はこれといって予定はありませんでしたし、急用ってまたサーフィンですか?」

「まあな、いい波が来るみたいなんだよ」

冬希は今さっきわが身に感じた冬の寒さを思い出した。

「この時期に海ですか?今日結構寒いですよ」

「はっはっは、海の男に夏も冬も関係ないのだ。いい波が来てりゃ、心も体も熱く燃えるから大丈夫なのだ。」

光次郎独自の体育会系?な精神と理論を冬希に分かるはずなく、また今回が初めてというわけでもないため、今の光次郎に何を言っても通じないことを冬希は知っていた。

「まあほどほどに、無理しないでくださいね」

「わかってる、わかってるって」

本当に冬希の話を分かってくれたかどうかは疑問だが、光次郎が無理をしたり、無謀なことをして、周りの人を悲しませるようなことはしない。長い付き合いの冬希にはそれがよく分かっていた。

「んじゃそろそろ俺は行くよ、後はいつも通りよろしく」

「何か連絡事項とか、伝えることありますか?」

「いいや特になし!今日は愛海が学校終わったら来てくれるらしいから、3時頃には来るみたいだ、昼は適当に食ってくれ」

「わかりました。さっきも言いましたが、外寒いんで無理しないでくださいね」

光次郎は片手を挙げ、裏口へ向かっていった。大きな背中を見送りながら、冬希がコートを脱ぎ、エプロンに着替えようとしていると、光次郎の大きな声が飛んできた。

「分かっていると思うが、俺がいない間だからといって店に腑抜けたクリスマスソングなんて流すんじゃないぞ」

 

 店が1番込むピークの時間帯も過ぎ、サラリーマン風の中年男性が店を出て、店の中には冬希一人となった。さほど広いとはいえない店内には、奥にテーブルと椅子が3セット、冬希のいるカウンターには椅子が数席セットされており、緩やかなBGMが軽やかに流れている。飾りのない、素朴で安心感のある感じと、少し渋めのコーヒーで、この店の常連となってくれる人も多々おり、光次郎のサーファー仲間もちょくちょく来てくれる。 

光次郎の意向でアンティークや装飾を、店内にはほとんど施さなかった。しかし、そんな光次郎が唯一例外として、自ら好んで店に飾っているものがある。そしてそれはこの店の名物ともいえるものとなっている。

 写真、自然の風景を写した写真である。満面に咲く色取りとりの花々、凛々と大地に生える深緑の森、それが赤やオレンジへと変わる秋。それは全てが新鮮で、きらびやかに写し出されており、まるで見ている者がその景色の中心へと吸い込まれるようだ。

光次郎がこの写真を飾っているのは単に輝いているからだけではない、この写真を撮ったのが光次郎の親友でもあり、冬希の父親でもある仁の作品でもあるからだ。

今はいない、藤堂 仁の・・・・

冬希はカウンターの中から、正面に見える位置に飾られている作品を眺めていた。仁には珍しく人物を写している作品である。青々とし、白く輝く泡を生みながら、大きくうねる波に挑む、いや海を感じ、一つになろうとしている光次郎を写した写真で、彼の一番気に入っているものだ。

冬希は今は亡き父の遺作たちを眺めながら、店内に流れるBGMWONDER RAINに身と感覚をゆだね始めていた。

冬希の父親、仁は写真家で、名の知れた人物であった。自然の風景や姿を写していた仁の作品に魅かれる人は多く、数は多くないが、個展や作品集もそれなりの成功を収めていた。明るく、ほだやか、少し間の抜けた感じのする人間で、人当たりはよいほうで、何より、幼いころ母親を亡くした冬希にとってはたった一人の肉親であり、やさしい大好きな父親でもあった。日本だけではなく、世界中に足を運び、美しい自然の写真を撮っていた仁は家を空けることも多かったが、近所に住んでいた幼馴染の家や、その子が引っ越したあと、入れ替わるように越してきた光次郎の所に預けられ、冬希はそれほど寂しいとは感じなかった。冬希はいつも、仁の土産話や自分の知らない土地や国での話しを楽しみにしながら父親の帰りを待っていた。それは仁が旅先で事故に巻き込まれ亡くなる16歳まで続いた。

(そういえばあの子・・・・式耶ちゃん、今何しているのかな・・・)           昔、一緒に遊んだ幼馴染。北海道へ引っ越してしまってから、もう長い間会っておらず、連絡もしていない。記憶の中の彼女はいつも幼いままで、笑顔が明るくいつも二人一緒だった。

冬希は幼き頃の楽しい思い出を思い出していた。それはふいにこみ上げてくる、悲しみをどこか押し込めようとしているのかもしれなかった。

 

光次郎の言ったとおり、3時を少しすぎたころに愛海は店に来てくれた。愛海が来てくれた事により、仕事は数段楽になり、手の空いた時には二人でおしゃべりしていられるので、冬希が一人、たそがれるようなこともなく、時間は早々と過ぎていった。

「ごめんね冬兄、またお父さんのわがままで」

ドアの札を「CLOSE」に変えた後、店の後片付けをしていると、愛海は申し訳なさそうに言った。

「だからいいって、別に」

「せっかくの休みだったのに、ほんとごめんね、まったくうちの父親はいつも勝手なんだから」

愛海は冬希のもう一人の幼馴染で、光次郎譲りの明るさと活発な性格で、気持ちのよい笑顔とショートカットの髪型が印象的な女の子だ、今年大学受験が控えている。

「ご飯どうしようか、何か作る?」

「いや、もうそろそろ光次郎おじさんが帰ってくるころだから少し待とうか」

「あんな道楽親父、ほっといてもいいのに、海で魚でも素潜りで取ってりゃいいのよ」

そのとき、都合のよいタイミングで外から車のエンジン音が聞こえた。おそらく光次郎の4WDだ。

「まったく、やっと帰ってきたか。あの不良中年は」

愛海はやれやれといった顔をしながらも、光次郎を出迎えるためドアの方へ歩いていった。

 

 愛海たちとの食事を終え、冬希は一人自分の住んでいるマンションへ歩いていた。

食事の間中上がった話題は、とりわけ今年のクリスマスパーティーのことで、愛海は今から何を作るか、音楽は何にするか、プレゼントはどうするかとおお張り切りだった。(これは毎年のことだが)この時ばかりは光次郎も折れ、D,Dの中も赤や金色に着飾りいつもとは違う空間へと変わる。この3人だけのクリスマスパーティーは毎年行われていて、冬希を毎年楽しませてくれる。そもそもこのパーティーは、仁が仕事のためクリスマスの時期にも家にいないことが多く、冬希を一人寂しがらせないために光次郎が提案し、そして今も続いているのだ。

冬希は白い息を吐きながら空を見上げた。空気がいつもより澄んでいるのか、それとも自分の気のせいなのかも知れないが、夜空の星はいつもより多く、綺麗に見える気がした。

冬希は以前仁に連れて行ってもらったモンゴルの星空を思い出していた。あたり一面広が星、星、星。この都会の星空とは比べ物にならない輝きと星の多さに、冬希は圧倒され、何も言えず、何も考えることが出来ずただ親子二人でいつまでも、大草原の夜空を眺めていた。思えば仁が冬希を連れて行ってくれた旅行と呼べるものはあれだけだった。

「冬希、なぁ綺麗だろう。人の言葉で表すのが難しいぐらい。世界にはまだこんな景色が残っているんだよ、冬希がもっと大きくなったらいろいろなところに行こうな。1度お前に見せてあげたい所があるんだ。俺たちが住んでる所を、ずっと北へ行くんだ。ここよりは近いけどな、そしたら・・・・・」

その約束は果たされることは無かった。この旅行が、冬希と仁が二人で旅した最後となり仁が冬希に見せたかった何かは結局分からないままとなってしまった。そして、仁が言った言葉の意味も・・・・・

「そしたら・・・・・きっと冬希にも聞こえるよ・・・・あの声が・・・」

 

 次の日、冬希は家の掃除を行っていた。光次郎がその日を休みにしてくれたため、急に時間が出来たのだ。もしかしたら愛海が何か言ってくれたのかもしれない。

それほど物がない冬希の部屋やリビング、どちらかというと普段から整理していたほうなので、気合を入れてやるようなことでもないのだが、冬希は一つ以前からやろうと思っていたことがあったのだ。

ほかの部屋に掃除機や拭き掃除を終えると、冬希は仁の部屋の前にたった。ここに入るのはあまり多くない。仁が亡くなってからは、たまに簡単な掃除を行うぐらいだ。冬希はドアのノブに手をかけ、静かにドアを開けた。

部屋の隅に置かれている年季の入った机、様々な資料や本が置かれている本棚がそこから手に届く位置に置かれている。反対側の端にはベット、血筋だろうか冬希の部屋と同じくすっきりとしている。ほかの部屋と同じくたいして掃除の必要がないように見えるが、この部屋には冬希も長い間手をつけなかった所があるのだ。

仁の殺風景な机の一番下の引き出し。ここは仁の宝箱だ。ここには仁が今まで旅をした記録や、世には出していない作品たちが眠っているらしい。(冬希も後に光次郎から聞いた話で確かではないのだが)ここは幼いころから仁に触れることを禁じられていた場所で冬希はその言いつけを守り、今まで空けずにいたのだ。しかし、仁は冬希にこうも言ってくれた。

「いいか冬希、この中には父さんの大切なものが入っているんだ。でもいつか、冬希にもこの中にあるものを見せる時や、見るときが来るよ、冬希がもっと大きくなったか、どうしても心が苦しいとき、この中の物が冬希を導いてくれるよ。今はよく分からないかもしれないかもしれないけど、いつか分かるときがくる。・・・父さんがそうだったように・・・・・」

 その言葉の意味は今でも良く分からない、そのため冬希はここに手を触れずにきたのだ。それは今まで、1番苦しかったとき、仁を失った直後、塞込んでいたときにでもここを空けようとはしなかった。しかし、冬希はずっと気になっていた、この中に何が入っているのか、父が何を伝え、どこに導きたかったのか、それは、今、生きる目標や活力に欠けている自分を変えてくれるのではないか。いつも力に満ち溢れ、30年以上もサーフィンに精を注いでいる光次郎、自分の目標を定め、ソフトボールを続けようと大学受験に挑む愛海、大学に行っても、やりたいこと、目標、力を注いでいるものが無い冬希にとっては身近なその人たちはとても眩しかった。その気持ちは自分が成長するにつれて大きくなっていた。

 冬希の中で一番輝いていたのは父の仁であった。幼いころから自慢の父親でもあった。その仁が残してくれたものは今の自分を変えてくれるのではないかという期待があった。

 冬希はそっと引き出しに手をかけた。ためらいが頭をよぎったが冬希はゆっくり、引き出しを空けていった。

 引き出しの中は意外とあっさりとしていて埃もたまってはいなかった。冬希は中に入っていたものを慎重に取り出していった。何の変哲も無い手帳、青いクリアファイル、半透明のケース、中に入っていたのはそれだけであった。意外とあっけなかった内容に冬希は少し気が抜けてしまったが、父が残したもの達を一つ一つ手にとって見た。

 文庫本サイズの茶色の手帳には仁の日記が書かれていた。日記というよりも旅行記らしく、後ろの空白のページの方が多い。冬希は最初のページを開いてみた。18年前の1228日、場所は千歳、北海道だ。

18年間・・・・・・・?)

冬希はどこか心に引っかかるものを感じながら、青いクリアファイルを手に取った。中には北海道の地図や資料が入っていた。地図には仁が回った旅路が記されており、かなり広範囲となっている。また几帳面な仁らしく、その地域の細かい資料などが丁寧に別けられ収められており、これで簡単なガイドブックとなりそうだ。

最後に半透明なケースに手を伸ばした、とても軽く、中には何も入っていないのではないかと思わせる。冬希はそっとケースのふたを開けた。そこに入っていたのは写真と手紙が一つずつ入っているだけだった。まだ少し荒いカラー写真には、幼いころの冬希と、そして幼馴染の式那が笑顔で立っていた。まだ式那が引越す前に撮ったものだ。

懐かしさがこみ上げてくるのを感じながら、冬希は手紙に視線を移した、白い四つ折の便箋はまだ未開封のようで開けられた形跡は見られなかった。しかし宛名のほうを見ようと手を返してみると、冬希は思わず手を止めてしまい、その宛名から目を離せなかった。

その未開封の手紙は昔、式那から冬希に送られてきたのもだった

(ドクン、ドクン、ドクン・・・・・)

冬希は自分の心臓の鼓動が早くなっていくのを感じた。相手の住所は北海道札幌市・・・

そして仁が残していった物・・・・仁はなぜこれらの物を今まで隠していたのだろうか?

二つとも北海道に関連しているのは何か意味があるのだろうか?そしてこれらの物が何を導き、仁は何を伝えたかったのだろうか・・・・・

冬希の心が熱く、動いていく、体の中から何か湧き上がってくるような感覚、うずうずして、何か行動を起こしたくてたまらなくなる。こんな感覚は冬希にとって久しぶりだった。

「北か・・・・・・」

遠く見たこと無い北の大地に、仁が伝えたかったもの、そして幼い時を友に過ごした女の子がいる。それは冬希を北へと誘う魅力としては十分過ぎるものであった。

 

 

12月になり、嬉しいニュースが一つ飛び込んできた。愛海が大学に合格したのだ。

合格したのは都内の私立、女子ソフトボール部が有名でかなりの強豪校で、中学からソフトボールを続けている愛海はこれでまた、プレイが続けられると大喜びだ。

 冬希にとってもこれは喜ばしいニュースであった。ずっとソフトボールに打ち込む愛海や、受験勉強に励む姿を見てきた冬希にとっては、妹のことのように嬉しいことであった。

 「やったよ冬兄、クリスマス、一緒に壮大にお祝いしてよね」

愛海は本当に嬉しいそうだ、高校時代プレイヤーとして実力はあったがチームとしての成績が残せなかった愛海にとっては(それをチームのせいにはしないのが愛海の良いところだ)本当に努力をして開いた道だった。

愛海に新たな道ができた、それは愛海自身が望み、努力で開いたものだ。そして冬希もこの冬、一つ行動を起こすことにした。

 

 仁の引き出しを開けてからすぐ、冬希は北海道へ行くことを決意した。北海道に何かあるという確信があったわけではないが、仁が残した手帳と資料は明らかに北海道を示していた。そして一緒に出てきた手紙も冬希を後押しした。

式那の手紙には、幼いあどけない大きな字がつづられていた。お父さんの用事でそちらに行くことになった。また一緒の遊べると、喜ぶ気持ちが文字から伝わってくる。しかし、式那が再びこっちに来て遊んだ記憶はない、引越しの日以来、式那には会っていないのだ。

何か急用ができ、予定が変わったのだろうか、それとも冬希には会えずまた帰ってしまったのだろうか、冬希は叶わなかった再開を残念がったが、それより一つの疑問が浮かんだ、

なぜ仁は、この手紙を冬希に渡さず引き出しにしまっていたのだろうか、手帳と資料は強い関連性があるように思えたが、この手紙は北海道ということ意外繋がりがあるとはあまり思えなかった。

手帳はすぐに読むのはやめておいた。仁の手帳は北海道に着いたところから始まっており、おそらく最終日まだ書かれているのだろう。資料のおかげで、仁が回った場所や順序は知ることができた。なら冬希は手帳を北海道で読もうと思っていた。今これを読むよりも、仁がいた場所で、そのとき思ったことを感じるには、そこで初めて仁の手帳を一つずつ読んでいくのが、1番いいと考えたからだ。

仁が回った地域は北海道全域に広がっていた。いくらなんでもこのルートを回るのはきついだろう。冬希は回れそうな地域をいくつか絞ることにした。まだいつ、どのくらいの期間旅をするか決めてはいなかったが、冬希は一つ、資料から目にとまる箇所を見つけ出した。そこは仁が最後に立ち寄った場所で地図にも他のところより目立つようにしるしが付けられている。仁の資料には場所ごとにそこに関する簡単な解説やメモが書かれていた。しかし、その場所には解説が書かれておらず、メモにも一言こう書かれていただけであった。

「また・・・聞くことができた」

この言葉の意味は分からなかったが、冬希にはこの言葉が以前モンゴルの夜に仁から聞いたことに何かつながるような気がした。

声、仁は何か声を聞いたのだろうか、この場所で・・・・

その場所は知床、知床五湖・・・・仁が北海道最後に訪れた場所。

 

冬希は旅行のことを光次郎にだけ相談をした。初めての一人旅で分からないことや不安に感じることも多かったが、あの引き出しのことを知っているのは冬希のほかには光次郎だけだろうし、そこを開けたことも光次郎には伝えておこうと思ったのだ。

光次郎は最初、初めての冬の北海道旅行にはあまり賛成をしなかった。仁が回った所には

冬行くのには厳しい場所もあり、いきなり冬の北海道への旅に難色を示したのだ。しかし、冬希のいつもとは違う決意を感じ取ったのか、冬希の気持ちを尊重してくれ、サーファー仲間達と連絡を取り合い、札幌に在住している友人にから空いてる部屋を使わせてもらえるよう手配をしてくれた。

光次郎との相談の結果、今回の旅行はそこを中心に回れるところへ行くことになった。ただの観光に近くなってしまうが、旅慣れしていない冬希に仁のルートをいきなり回るのは難しく。最初は北海道や一人旅に慣れる方がいいという光次郎の言葉に従うことにした。

知床を除いては

知床五湖もまた冬訪れるとしてはかなりきつく、また仁の撮影場所と思われる場所はさらに困難となっていると思われた。しかし、冬希はこれだけは譲れなかった。今回、冬希にとっての旅行の目的の大きな部分を占めているといってもよいことで、譲ることのできないことであった。

「まあ、お前がそこまで言うなら・・・」

最終的にはまた光次郎が折れる形となり、知床もスケジュールに組み込まれることとなった。しかし、光次郎からも条件がでた。当日の天気などの状況や、現地の人の話を聞いて無理そうなら、そこに行くのは中止すること、けして無理はしないこと、ということだった。光次郎の真剣に自分の身を考えてくれているのを冬希は強く感じ、これらの条件を呑み、無理はしないと約束をした。

「しかし、やはり親子だな。冬希にもそういうとこ、出てきたか」

日本だけではなく世界中飛び回って、写真を撮っていた仁には比べ物にならないが、光次郎は冬希が活発に動き出そうとしているが嬉しいみたいだ。

「まあ、あいつの「引き出し」の中に残っていたんだ、なにかしらお前に伝えたいことがあるんだろう、いろいろ探してみりゃいいんだ」

「そうしてみます。何があるか分かりませんけど」

「いいんだ、いいんだ、それを探しに行くんだろ」

光次郎はいつものように豪快に笑いながら言うと、席を立ち、コーヒーを取りにいった。光次郎の店でも出している少し渋めの味のするもので冬希はこの味に慣れてしまい、また好きになっていた。

光次郎は手に取ったコーヒーをカップに注ぎ両手で持ってくると、冬希の前にカップを一つ置いた。そして冬希がカップに口を付ける前に、真剣な顔をして口を開いた。

「なあ冬希、その・・・今までお前に聴こうと思ってきたことがあってな、いい機会かも知れないから言うが・・・・その・・・なんて言えばいいのかな・・・」

光次郎にしては歯切れの悪い話し方だ

「その・・・お前何か、不思議な声とか聴いたことあるのか?」

「えっ!」

冬希は口に運ぼうとしていたカップを思わず止めた。まさか光次郎からその言葉が出るとは思いもしなかった。

「いや、何か変だということじゃなくてな、その・・・・あいつは、仁は何か持ってたみたいだから」

「持っていた?」

「まあ、俺も詳しくは知らないし、このことはあまり仁も話そうとはしなかったんだが、仁は何か声みたいなものを感じ取ることができたらしい」

「声を感じ取る?」

冬希は鸚鵡返しのように言葉を返していた。

「別に変だと言っているわけではないぞ、もういっぺん言うが。あいつは子供のころ、田舎に住んでいてな、お前も知っているだろうけどけっこうな田舎でな。森や川とかに囲まれて暮らしていて、そのころは声をよく聞いたらしい」

(その頃は・・・・?)

「声というもの自体がどういうものか俺にはわからないが、いつの頃からか、仁にもその声が聞くことができなくなってしまったらしい。でもまたその力が戻ったのか、その声を聞けるようになったみたいなんだ、たぶんお前が生まれて少ししたぐらいかな」

 声・・・・・父が言った言葉、そして引き出しの中にも残されていた言葉・・・・・仁は息子の冬希から見ても、ほかの人とは違う、明らかな何かがあるように感じることもあった。この声とは何を表しているのだろうか?少なくとも冬希には今まで何か不思議な声を聞いたり、感じたことは無かった。

「息子のお前なら何か知ってたり、もしかしたら感じることができるかと思ってな、いきなりで悪かったな。しつこいようだが別に仁やお前が変だって言ってるわけではないぞ。仁もこのことは人には話していなかったみたいだし、俺はそういったことよく分からないが、その力も人間の中の一つの部分だと思うし、それも仁の一部だと思うんだ」

光次郎は人を偏見や隔てを置いてみようとはしない、だからこそ仁は、親友である光次郎にはこのことを話したのかもしれない。

「そういえばその頃からかな・・・・仁の写真に新しい人気がでたのは、また声が聞こえだしたらしい頃から、手紙が届くようになったみたいなんだ。写真をみた人から『ありがとう』とか『癒された』とかそういったお礼の言葉が、それまではそんなこと無かったらしい」

光次郎はコーヒーを口に運ぶと閉店し二人しかいない店の中で、飾られている仁の作品を眺めながら口を開いた。

「惹きつけたんだよ、仁の写真は、なにか大きな傷や影を持った人を・・・・そしてきっと何かを伝えているんだ」

冬希にはそれが何か知る由もないし、本当に仁の写真が傷ついた人たちを惹きつけているのかは分からなかったが、しかし、仁が亡くなってから、以前にも増して、仁の写真が好きになっていた自分を冬希は初めてここで感じることとなった。

 

冬希が北海道に旅立ったのは12月も終わりに近づいた頃であった。D.Dでのクリマスパーティが例年よりも盛大に行われ、冬希の町の色が変わる頃、冬希はバック一つを持ち、北へ旅立った。冬休み、冬希と遊べると思っていた愛海はどこか寂しげな顔で冬希を見送っていたが、冬希がこの旅行に何か強い信念を持っているのを感じ取ったのか、空港まで光次郎と一緒に見送りに来てくれた。

冬希はこの旅に何を求めているか、それを明確にすることは自分でもできなかった。しかし、何か自分に変化をもたらしてくれるものがあるという予感があった。そしてその予感は現実のものとなり、冬希に新たな変化をもたらす。様々な形のよって。